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【ひろしまブンカノート #2】漆芸作家・高山尚也さん

2026.07/29
2026.07/29
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広島市中区、通称「仏だん通り」と呼ばれる通りにある高山清の外観。建物の2階はギャラリー、4階は高山さんの工房。

伝統技術を時代に合わせて残していく、漆芸作家・高山尚也さんにインタビュー

広島県各地の文化について、取材を通して記録していく「ひろしまブンカノート」。
第2回目は、広島県内の伝統工芸品である広島仏壇の塗師(ぬし)屋から始まった「株式会社 高山清」の4代目であり、漆芸作家でもある高山尚也さんにインタビュー。高山さんのこれまでの活動・作品づくりについて伺いました。
※塗師…仏壇に漆を塗る職人
(取材・文/藤田えりか)

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2階のギャラリー

修行時代から漆芸作家を志すまでの道のり

―伝統を継いでいくというのは、やはり大きな決意があって始められたのでしょうか。

高山:
決意があったというよりは、実家が仏壇屋で、京都にいた機会があったので仕事を色々習い始めたという感じです。はじめから「職人になる」とか、今のような「作家になる」というのはイメージせずに京都の大学へ行きました。京都で就職するタイミングで漆の職人の元に行きましたが、「家で手伝いができるような仕事を覚えて帰れたらいいな」という気持ちでした。

京都ではどのくらい修行をされましたか。また、修行されていた時の体験はどのような内容でしたか。

高山
京都では4年くらいです。塗師(ぬし)の工房を探していたのですが、どこの工房も受け入れが難しいという状況だったため、「呂色(ろいろ)仕上げ」の工房に入りました。「呂色仕上げ」は塗膜の上を研いで、刷毛目(はけめ)やゴミを取り除き、鏡のようになめらかな艶のある表面に仕上げる工程です。工房は、師匠と私だけで、非常に忙しかったです。研ぎ過ぎて下地を破かないよう、納期に追われながら必死でした。ですが、「呂色仕上げ」をする場合、下地の良し悪しがそのまま仕上がりに表れるため、工房に届くのは、塗師の方が非常に丁寧に塗り上げたものばかりでした。そのため、高い技術で作られた仏具を見ることができました。

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呂色仕上げの例 2023年に制作された作品「伝」(G7広島サミットにおける広島市からの贈呈品に選定)

京都のあとは、鹿児島にも行かれたのですね。

高山
はい、鹿児島では仏壇店で2年ほど経験を積みました。広島では塗師が金箔押しと組立てまでしますが、京都は広島よりも細分化されていた一方で、鹿児島では広島よりも受け持つ工程が1つ多かったです。

京都とはまた違う環境だったのですね。

高山
そうですね。京都では一つの工程を極める専門職の世界を見ましたが、鹿児島は当時、広島に比べて作る量が多く、職人さんもたくさんまとまっていました。そうした現場で、一人が多くの工程に関わるものづくりを経験しました。

高山さんが戻られた頃、広島の「仏だん通り」の様子はどうでしたか。

高山
僕が戻ってきた時、この通りにあった仏壇屋が半分くらいに減っていました。周りも「子どもには継がせない」という方もいましたので、厳しい環境だなと感じていました。広島の仏壇は7人の職人が集まらないと作れないので、各分野の職人さんが1人か2人という状況を30代の頃に目の当たりにして、僕1人が残っても仏壇は作れないなと感じていました。そのため、「どうやってこの技術を残していくか」という気持ちから、仏具より技術のことを見始めた頃に、お椀の修理をするきっかけがあり、漆器を作り始めることにつながりました。

作家活動での苦労から新しい取り組み

令和元年から本格的に作家活動を始められたとのことですが、最初は苦労もありましたか。

高山:
乾漆技法で制作していますが、作家を始めた時は習ったこともない技法だったので、1個を作るのに時間がかかりました。私は職人時代に「塗ること」と「研ぐこと」を経験してきたので、仕上がりのイメージは頭の中に出来ていました。そのため、漆の「しとやかさ」や「みずみずしさ」を引き出す形を作る所で苦労しました。また、私は職人として注文を受けて作っていたので、自分発信で表現をするというのは逆の考え方でした。そのため、最初の1、2年は、「使いやすいもの」を作るのが商品で、「見せたいもの」を作るのが作品という違いが分からなくて苦労しました。

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高山さんが最初に作られた作品

ー今、高山さんが考えられる商品と作品の違いはどうでしょうか。

高山:
使って楽しいものと見て楽しいものですかね。

ーいまは量産されているものもありますが、どのように制作されていますか。

高山:
私は職人と作家の中間にいるような感覚で、依頼を受けて作るものづくりは、継続的に同じものを作らないといけないと考えています。そこで、作品と商品の融合のようなものを乾漆で作れると良いなと思い、令和2年くらいから3Dプリンターで型を作り始めました。また、3Dプリンターで型を作れることで、デザイナーさんや企業とものづくりが出来る取り組みも増えてきています。

※乾漆技法・・・漆を塗った麻布を型に貼り重ねて形を作る伝統技法。高山さんは、3Dプリンターで形の原型を作り、その原型から石膏型を制作。石膏型の上に乾漆を塗り重ねた後、石膏型を水で溶かして乾漆だけを残す方法で量産をされています。

ーできる取り組みが増えると漆器の認知も広がっていきそうですね。

高山:
そうですね。もともとは「職人」という意識が根底にあるので、相手の意向を汲み取って技術を提供する方が、自分としては合っているなという感覚もあります。

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工房で見せていただいた制作中のランプシェード

技術を継承していくことへの想い

これから伝統文化に携わろうとする若い方へ、伝えたいことはありますか。

高山:
伝統工芸は技術を繋いでいるから伝統工芸と言えると思います。「物・形・技術」の3つが揃って初めて成り立つものです。その3つの技術を習得できる就職先や環境が十分にあるとは言えないという問題もあり、大変だろうなと思います。ですが、技術というのは1000個くらい作ってようやく実力が分かってくる世界です。

やはり、数をこなすことが大事なのですね。

高山
数もですが、 何を目指しているのか目的を持つことが大切だと思います。私は「技術の継承」を念頭に、どうやって仕事を取っていくかです。そのため、目的が違うと進む道も変わってくるんですよね。体力が必要なことですが、そこにぶれずに突き進むということでしょうか。

海外からの観光客の方も含めて、漆に触れられるワークショップの実施にも取り組まれていますよね

高山
そうですね、月3〜4組は申し込みがあります。仏壇が昔ほどは売れない時代ですが、仏壇に使われていた技術を大切にしたいという想いから、技術を継承して伝えていく活動を、広島に来る人たちに積極的に行っています。


高山尚也 / TAKAYAMA Naoya プロフィール
1981年生まれ、広島市在住。広島仏壇の塗師から始まり、創業100年を超える広島仏壇の製造・卸・小売を行う「株式会社高山清」の4代目。広島仏壇を製造するために必要な職人が減っていく危機感から、塗師の技術の継承を目指し、2018年には「広島漆芸」というブランドを自ら立ち上げる。乾漆技法により、軽くて、漆の「しとやかさ」・「みずみずしさ」を表現した器などを制作。2023年のG7広島サミットでは各国首脳や配偶者への贈呈品制作を担当するなど、広島の技術を世界へ発信している。

主な活動歴
【受賞歴】
・2025年 第68回日本伝統工芸中国展 岡山県教育委員会教育長賞
・2023年 第39回県民文化奨励賞(令和五年度)
・2022年 (公財)ひろしま文化振興財団 第3回広島文化新人賞
・2022年 ザ・広島ブランド認定(広島漆芸)

【主な展示・プロジェクト】
・2023年 G7広島サミット岸田裕子内閣総理大臣夫人G7首脳配偶者への贈呈品:漆器「曙」制作
・2023年 G7広島サミット開催都市(広島市)からの贈呈品:酒器セット「伝」制作
・2022年「第22回岡田茂吉賞」招待作家(MOA美術館)
・2021年「第68回日本伝統工芸展」乾漆鉢「暁」

これからの活動
高山尚也:広島仏壇の伝統技術を未来へ紡ぐ(実施時期 11月ごろ(仮))


取材・文 藤田えりか
広島県在住、広島市立大学芸術学研究科博士前期課程修了。2023年よりアートギャラリーミヤウチに学芸員として所属し、児童を対象にした企画展などを担当。最近はアーカイブとアーカイブされた情報の活用に関心を持ちながら活動中。